抗リン脂質抗体症候群合併妊娠の低用量アスピリン療法について
抗リン脂質抗体症候群合併妊娠の低用量アスピリン療法について
ヘパリンとの併用療法がほぼ標準的な治療となっています。
使用開始時期
・妊娠を計画したときから
・排卵から
・妊娠反応が陽性となってから
というように一定の方法はありません。患者さんにより異なります。
終了時期
・妊娠36週までが一般的ですが、
○出血
妊娠中の性器出血や絨毛膜下血腫、分娩時の出血などの
危険性を上げるという報告はありません。
○胎児への影響
低用量ではありません。
アスピリン使用中の手術や処置について
妊娠中に何らかの手術が予定された場合、アスピリンは
手術1週間前から休薬します。
抗リン脂質抗体症候群合併妊娠のヘパリン療法について
抗リン脂質抗体症候群合併妊娠のヘパリン療法について
抗リン脂質抗体症候群による不育症では、未分画ヘパリン5,000単位を1日2回(12時間毎に)皮下注射します。
在宅自己注射の方法は、導入時に津田沼IVFクリニックでご指導いたします。
使用開始時期は、
・排卵日や高温相中期など妊娠判明前から
・妊娠反応が陽性になってから
・子宮内妊娠であることを確認してから
などがありますが、それぞれの患者様により異なります。
使用終了時期は、
・胎盤形成の時期を考え16週頃まで
・分娩時の出血増加を考慮して36週頃まで
などさまざまです。
副作用
○胎児への影響
未分画ヘパリンは胎盤を通過しないので、胎児への影響はありません。
○出血
活性化部分トロンボプラスチン時間(APTT)という血液検査をします。
未分画ヘパリン5,000単位を1日2回の量ではAPTTはほとんど延長せず、出血傾向がみられさえしなければ中止・減量などの用量調節は不要です。
○絨毛膜下血腫
予防量(5,000単位 1日2回)で出血傾向をきたすことはまずありません。
○肝障害
使用開始から2~3週のうちにASTやALTなどの肝機能検査値が上昇し、時に200~300を超えることもありますが、そのまま使い続けても多くの場合1か月くらいで正常値に戻ります。
正常値に戻るまで、経過観察をします。
○ヘパリン起因性血小板減少症
○骨量減少(長期使用)
抗リン脂質抗体症候群による不育症でヘパリンを使用するのは長くても分娩までの期間のため、長期にはあたりません。
また骨量減少は一時的なもので、中止後に回復します。
ヘパリン使用中の手術や処置について
妊娠中に何らかの手術が予定された場合、ヘパリンは手術前日まで使用します。
手術終了後、止血が確認されたら当日もしくは翌日から再開します。
緊急手術の際は、通常はヘパリン使用を理由に手術開始を遅らせる必要はありません。
硫酸プロタミンによるヘパリンの中和も通常は必要ありません。
無痛分娩などに使用される硬膜外麻酔は、硬膜外血腫を考慮して避けた方がよいでしょう。
抗精子抗体
1.子宮・卵管内での精子の移動障害
1)子宮頸管粘液内に精子不動化抗体分泌→性交後試験(ヒューナーテスト)不良
2)子宮腔~卵管内分泌→人工授精での精子の卵管内通過性障害
精子不動化抗体価は低値(10未満)であれば人工授精による妊娠成立が期待できますが、高値の場合は期待しづらいと考えられています。
2.受精障害
まれに
3.胚の発育障害
4.着床障害
5.早期流産(化学的妊娠)
精子不動化抗体価は自然変動しますので、精子不動化抗体が陽性の場合はおよそ1か月ごとに抗体価を3回以上測定し治療方針を決定するとされています。しかし、検査費用が高額であることと多くの時間を要しますので、当クリニックでは1~2回の測定としています。
抗体価が常に高値(10以上)の場合は体外受精、概ね10前後または10未満の場合は人工授精を治療の目安とします。低値の場合は自然妊娠することもあります。
Y染色体微小欠失検査
卵管が詰まっている、細いと言われた方へ
卵管が詰まっている、細いと言われた方へ
・・・子宮鏡下選択的卵管通色素検査・・・
をお考えになってみては如何でしょうか?
子宮卵管造影検査(レントゲン)や通気(空気や二酸化炭素)・通水(みず)検査で片側または両側の卵管がつまっていると診断された場合や、造影検査ができない場合に行います。
詰まっていると診断されても・・・
子宮の中には浮遊物がたくさんあります。この浮遊物がたまたま卵管の入口をふさいでしまうことがよくあります。実際には詰まっていないのに浮遊物が栓をしてしまっているので詰まっていると診断されることがあります。
この浮遊物を洗い流すと卵管が通ることがあります。
方法)
生理食塩水や色素水が、子宮や卵管・腹腔内に注入されるためにお腹が張ったり、チクチクという腹痛を感じたりすることがありますが、多くの方は苦痛ではありません。
子宮鏡で見ながら、青い色素水が戻ってこなければ「通過」、戻ってくるときは「閉塞」と診断します。カテーテルが入らないときも「閉塞」と診断されます。また青い色素水が卵管を通過した場合は腹膜から体内に色素水が吸収されますので、その後の数回の尿が青くなります。このことも(少なくとも片方の)卵管が「通過」している診断となります。
この検査で、つまっていた卵管が通るようになることがあります(40~50%)。
通常は3~5分程度で終了します。
・検査は日帰りで行います。入院の必要はありません。
・月経直後など、妊娠をしていない時期に行います。
・無麻酔ですので、食事などの制限はありません。
・安静の必要はなく、検査前後の生活に制限はありません。
・この検査には健康保険の適用はなく、自費で18,360円(税込)となります。
両側卵管に施行した場合や通過しなかった場合も同料金です。
検査当日から数日以内に強い下腹部痛や発熱がみられるようでしたら、感染症が疑われますのでご来院ください。
ご紹介
ご紹介します。
・・・世界初の試験管ベビーは37歳、その人生を語る・・・
1978年、ルイーズ・ブラウンさんは世界初のIVF(補助的生殖技術)でこの世に誕生した赤ちゃんになりました。
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私が生まれたことが、世界中にあんなにも衝撃を与えると両親は思っていなかったようです。
両親、パトリック・ステップトー、ロバート・エドワーズ、全員が亡くなった今、私の誕生がこの世界にとって、どんなに重要なことだったのか自覚しました。私がどうやって生まれてきたか?については、たくさんの本が書かれていますが、自分自身で私のストーリーを語る責任があると考えるようになりました。
そのルイーズ・ブラウンさんも今年で37歳。世界初の試験管ベビーとしての人生がどんな風だったか?語ってくれました。
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私が生まれたことが、世界中にあんなにも衝撃を与えると両親は思っていなかったようです。
世界で初めて体外受精で生まれた人間ということで、私の誕生の是非を論じる政治家、宗教指導者、医師、および科学者たちには「試験管ベビー」とよばれました。でも、両親にとってはただひとつのシンプルなものを意味しました。それは、ついに、自分たちの子どもと呼べる存在を得ることができたということでした。
家族に対して嫌がらせの手紙が送られてくる一方で、なかなか子宝に恵まれないご夫婦たちから、私の誕生に希望を見出したという手紙が何百通も届きました。
体外受精で生まれた私に対して、人々は私には何か欠陥がある可能性があると言ったり、身体的な欠陥が無いことが判明すると次は、私がスーパーマンだとか念力で物が動かせるかもしれないと話し始めました。また、私には魂が無いなんて言う人も…。
私が現実に生まれたことで、人々は「恐怖」を示すようになりました。同性カップルが同じ技術を使って家族を持つようになるとか、生まれてくる赤ちゃんの性別をコントロールするとか、代理母として子宮を貸し借りするようになるなど。現在では、実際に行なわれていることもありますが、当時としては現実になり得ないと考えられていたことでしたから。
でも、今では世界中に500万人以上の子どもがIVFの技術を使ってこの世に生を受けています。体外受精のパイオニアである科学者パトリック・ステップトーとロバート・エドワーズは、私のミドルネームに喜びを意味する「JOY」をつけてくれました。今でもIVFを経験した人たちに会うと、彼らの大きな喜びを感じます。
昔に比べ、現在は子どもを持つことができるチャンスが広がっています。卵子を凍らせて精液を保管することは珍しいことじゃなくなり、命に関わるような病気でも赤ちゃんを産める方法があります。近年では、男性不妊を助ける手段もいろいろ発達していることを知って感動しました。
このように、体外受精や人工授精が一般的なことになってきている一方で、今でも道徳的な問題とジレンマがそこにはあります。ただ、議論はここ数年で変化してきています。人々の態度は信じられないほど変化して、法律も変わりました。
例えば、私が生まれた頃は同性カップルが結婚して子どもを持つなんて思いもよらないことでしたが、今ではイギリスをはじめ、さまざまな国で同性の結婚が合法になり、IVF、精子提供、代理母によって、同性カップルが子どもをもうけて家族を築くことができるようになりました。愛情深い家庭で子どもが育っていくことは、素晴らしいと思います。
また、IVFは中年期以降に子どもをもつことにした女性たちの助けになっています。このことについて、個人的には良くもあり悪くもあるように感じています。50代で初めての子どもを産むことが心配なのです。どんな女性でも年齢でも子どもが欲しいという気持ちは否定しませんが、子どもにとって彼らが歳をとったときに、あなたがそこにいることが大切だと思うんです。私は、30歳のときに母を亡くしました。彼女に逢いたいと毎日悲しんでいました。そのときある程度若いうちに子どもを産むことの大切さを痛感したんです。私の母が持っていなかったオプションでしたけど…。
両親は私が4歳の頃に、私が帝王切開で産まれてくるときのフィルムを見せてくれました。また、ありがたいことに、早めに事情を説明してくれました。おかげで、私は他の人と違う方法で生まれてきたことを理解し、学校でヘンなことを言われても、常にマスコミが興味を示してくるワケもわかっていました。
両親、パトリック・ステップトー、ロバート・エドワーズ、全員が亡くなった今、私の誕生がこの世界にとって、どんなに重要なことだったのか自覚しました。私がどうやって生まれてきたか?については、たくさんの本が書かれていますが、自分自身で私のストーリーを語る責任があると考えるようになりました。
両親は私が平凡な人生を送ることになるだろうと考えていました。そのとおり、私は地元のブリストルで普通の仕事を持ち、2人の愛する息子たちと暮らしています。ちなみに、私自身は自然に妊娠したのでIVFは必要ありませんでした。
IVFで生まれてきた人たちは、当たり前ですが他の皆と同じです。イイ子もいれば悪い子も、賢い子もいればそうじゃない子もいます。生まれてすぐに私を調べた医師が最初に発した言葉は「普通の赤ん坊」だったそうです。そして大人になり、私は普通の女性になりました。私たちは、普通の人間です。ただ生まれてくるのに、科学の力を少し必要としただけなんです。
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体外受精を悩んでいる方、たくさんの意見を良くお聞きになって、最終的にはご夫婦で判断・決断をするしかないと思います。
本日までに妊娠された方は、1596組(体外受精924組、人工授精291組)です。
卒業証書は1204枚発行され、卒業生は2408名となりました。